HOME > 大本山高尾山薬王院

大本山高尾山薬王院

大本山高尾山薬王院について

高尾山は、東京から西へ約50kmに所在し、江戸の昔から飯縄信仰、山岳信仰の霊山として、また、行楽地としても広く知られています。標高600mの山中には、山岳信仰の飯縄大権現(いづなだいごんげん)を奉る薬王院の諸堂が点在し、自然林の中に深遠な山容を形成しています。
真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、天平12年(744年)に聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山されたと伝えられています。薬王院の正式名称は「高尾山薬王院有喜寺」で、創建当初、御本尊薬師如来を安置したことに由来します。現在は成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに関東三大本山として広く知られています。

永和年間(1375~78年)に、京都の醍醐山から俊源大徳が入山し、不動明王を祈念して8,000枚の護摩供秘法を厳修し、それにより一山の守護神として飯縄権現を奉祀し中興したと伝えられています。以降、薬師信仰と共に飯縄信仰の霊山になり、醍醐派(当山派)の修験道場として、山岳仏教と修験根本道場が渾然一体となって隆盛を極めていきました。 上杉謙信や武田信玄、後北条などが戦国武将の守護神として飯縄大権現を崇敬し、厚く帰依したと伝えられています。また、高尾山は戦略上重要な位置にあり、八王子城防衛の自然の要害となったところでもあり、天文年間(1532~55年)には、山上に浅間神社を勧請、以降富士信仰の山としても知られるようになります。
江戸時代に入っても徳川幕府から手厚い保護を受けました。江戸期には、常法談林所(常時、僧侶の教育・研究が行われる寺)となり、飯縄権現堂本堂の建立、拝殿・幣殿・殿の三殿一体となった彩色華麗な権現造りの飯縄権現堂(御本社)が完成しました。
明治期には神仏分離令が発布され、寺院は大きな変革と統制を受け、飯縄大権現を飯縄不動と改称したり、寺領の大部分を上地するなどの苦慮もありました。
その後、関東大震災(大正12年・1923年)や火災(昭和4年・1929年)などにより苦しい経験を経ましたが、戦後、飯縄大権現堂、奥之院不動堂、仁王門が相次いで東京都文化財に指定されました。
なお、高尾山薬王院分院として浅草分霊院、長野県駒ヶ根分霊院、群馬県石倉分霊院に分霊院を開院し広く信徒を集めています。

高尾山薬王院公式ホームページ 高尾山薬王院寺院・墓地のご案内
このページの先頭へ